一年で一番長い日 63、64「あなたが割り込んできたものだから、その場の緊張がいったん解けてね」葵は言う。 「無邪気に俺たちに話しかけるあなたを挟んで、今度は腹の探りあいになったんだよ」 「・・・俺、無邪気だったの?」 恐る恐る、俺は訊ねた。 「うん。邪気が無いから無邪気っていうんでしょ? あなたって本っ当にとことん無邪気だったよ。俺たちも毒気を抜かれるくらい」 「・・・!」 なんてことだ。こんな若いヤツにまで無邪気と言われてしまった。どうすりゃいいんだ、俺。一児の父、ウン十ウン歳。 俺が遠い目をしていると、駄目押しのように葵は言った。 「なんていうんだろう、大型犬の子犬みたいだったよ、あなた」 う・・・人を『101匹ワンちゃん』みたいに言うな! いや、だからって狼だとは思わないけど。トラとかライオンとかヒョウとかも思わないけど。・・・子猫とか子山羊とか言われないだけマシなのか。そういうレベルなのか、俺。 「でね、どちらがどう出るか探りあいになって。それであなたを連れてあちこち梯子することになったんだよね。つまり、あなたは緩衝材だったわけ」 緩衝材って。俺はぷちぷちか? エアークッションシートなのか? 嫌だ! どうせやさしく包むなら、ののかを包んでやりたい。<笑い仮面>も<鉄仮面>も嫌いだ! 「父は、芙蓉と芙蓉の持っているはずのコピーの行方を知りたがった。そして俺が知りたかったのは・・・」 葵は視線を落とした。 「知りたかったのは、何だったのかな。知りたかったのは、そう・・・俺は、あの人が俺と芙蓉の父親だってことを確認したかった。遺伝的な意味では間違いなくあの人は俺たちの父だ。だけど・・・」 「・・・うん」 なんだか辛そうな葵の言葉の続きを、俺はゆっくり待った。 「あの人は、父は、あなたみたいに<父親>じゃなかった。息子なんてものはただの記号にすぎなくて、泣いたり笑ったりする心を持った存在じゃあ、あの人にとってはなかったんだ」 静かにそう言った葵は、あなたの娘さんは幸せだね、と微笑った。 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ 葵の表情があんまり寂しそうなので、包んでやらないまでも、B6程度のぷちぷちくらいならやってもいいかと俺は思った。プチプチ潰せば少しは気晴らしになるだろう。 「親なら子のことを大切に思っているはずだなんて、きれい事を言うわけじゃないけど・・・」 俺は言った。子供はあいかわらず葵の隣で健やかに眠っている。 「俺は、君には兄さんがいて良かったと思う。可愛い甥もいる。その年で叔父さんというのもアレだけど、小学生で叔父さんのカツオよりいいじゃないか」 葵は吹き出した。 「何それ、『サザエさん』?」 俺は大真面目に頷いてやった。 「芙蓉くんはマスオさんだし。夏樹くんはタラちゃん。てことは、君はカツオに決定。ところで、ナミヘイさんの頭を見ると、あの一本だけの毛、ぷちっと抜きたくならないか?」 「いや、むしろ俺は全部剃ってやりたくなる」 「それは酷すぎるだろう」 つまらないことを言って、笑いあった。 「ふふ」 葵は猫のように伸びをしながら俺の顔を見る。 「なんだよ?」 その目に悪戯っぽい光を認めて、俺はなんとなく気持ち逃げ腰になる。 「あなたって、やっぱり面白いよ。いるんだね、男の中にも<癒し系>が」 「癒し、ってオイ。こんなオヤジを捕まえてぽややんキャラのアイドルみたいに言うな」 「その年でアイドルはないよね。じゃあ、マスコットは?」 「却下!」 葵はくすくす笑っている。あー、いいよいいよ何でも。迷える子羊のような頼りない目をするより、人をからかって笑っているほうがいい。 ・・・こういう所がお人好しなんだろうか。 ロイド眼鏡のハロルド・ロイドはお人好しな役が似合う。俺はあんなにハンサムじゃないが。 「芙蓉は今、ある人に会いに行ってるんだ」 俺が遠い目をしていると、真面目な顔になった葵が言った。 「ある人って?」 「それはまだ言えない」 葵は夏樹を起こさないようにそっと立ち上がり、ミニバーの方に歩いていった。 「せっかくだから、何か飲む? 簡単なカクテルなら作れるよ。芙蓉に教えてもらったんだ」 「まだ昼間だし、子供もいるから酒はいい」 「そ? じゃあ、紅茶でいい? いいダージリンがあるんだ」 葵はかちゃかちゃと音を立てながら湯を沸かし、お茶を淹れる用意をしているようだ。芙蓉がどこへ行ったのか、今聞いても答えてくれないだろう。俺は息をついてソファに深く座り直した。 「どうぞ」 目の前に、暖かい湯気を上げる紅茶のカップが置かれた。ほどよくエアコンのきいた部屋で飲む紅茶は悪くない。その隣に並べられた皿には、美味そうな菓子が乗っている。 「ブルーベリーのクリームチーズマフィン。夏樹の好物。大人が食べても美味しいよ。甘さが上品でね」 次のページ 前のページ ジャンル別一覧
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